第4話・会えるうちに・・・

闘病記

会えるうちに会いたい・・・

「あと、どれくらい生きられるんだろう……」

胃がんかもしれない。

お腹に水が溜まっている。

詳しい検査の結果を待っているけれど、この先どうなるのかは何も分からない。

そんなことばかり考えていました。

だから、

「会えるうちに、会いたい人に会っておこう」

そう思ったんです。

休職することになって

最後の勤務は夜勤。

休職することへの申し訳なさもありました。

これまで看護師として働いてきた私にとって、仕事を休むということは、やっぱり簡単なことではありませんでした。

今の状況を詳しく話していたのは、看護部長と師長さん

最後の夜勤を終える時、

「いつでも帰ってきてね」

そう言ってもらいました。

その言葉が、本当に嬉しかった。

そして、涙が出ました。

夜勤を終えた私は、そのまま一人でカラオケへ。

「えっ? なんでカラオケ?」

って思いますよね~

でも、この時は大きな声を出したかったんです。

そして、思いっきり泣きたかった。

泣きながら歌っているから、声も出ない。

もう、歌っているんだか泣いているんだか分からない。

「泣いたって仕方ないけど……」

そう思いながらも、その時は泣くしかなかったんです。

そして、ひとしきり泣いたあと、

「泣いてもどうしようもないから、明日から笑おう!」

そう思いました。

これからどうなるかは分からない。

でも、泣いてばかりいても仕方ない。

だったら、笑って過ごそう。

長崎へ帰る前に

翌日は美容院へ行きました。

少しでも気分を変えたかったんだと思います。

髪を切ってもらいながら、

「もしかしたら、最後の美容院かな~」

なんて考えていました。

この頃は、何をするにも「最後かもしれない」と思ってしまっていました。

美容院の隣に占いのお店があったので、帰りにちょっと寄って

これから先のことを聞いてみました。

すると、

「あなたは運が強いですよ」

と言われました。

そして、

「書くことや、本にすることが仕事になるかもしれませんよ」

とも。

「え? 書くこと?」

その時は、ちょっと不思議な気持ちでした。

まさか、その後本当にブログを書くようになるなんて。

この時の私には、そんなこと想像もできませんでした。

その夜、妹に電話をしました。

妹の声を聞いた瞬間、なぜか先に涙が出てしまったんです。

妹もびっくりして、

「どうしたの?」

と聞いてきました。

そこで、今の状況を話しました。

二人で泣いてしまって、何を話したのか正直覚えてません。

でも、それだけで十分だったんですよね。

言葉にできない気持ちを、妹は受け止めてくれました。

その後、妹から母にも伝えてくれました。

そして私は、長崎へ帰ることにしました。

母と父に会いたくて

福岡空港から高速バスに乗って、長崎へ向かいました。

バスセンターでは、母が待っていてくれました。

母の姿を見た瞬間、涙が溢れました。

でも、母に心配をかけたくなくて急いで涙を拭きました。

「大丈夫、大丈夫」

自分にそう言い聞かせながら

できるだけ普通の顔をして、母のところへ。

帰り道、これまでのことを母に話しました。

そして、父の顔を見た時も、いろんな気持ちが込み上げてきました。

病気のことを話すと、父はちゃんと受け止めてくれました。

妹や弟とも一緒にご飯を食べました。

病気の話もしたけれど、ずっと病気の話をしていたわけではありません。

昔の話をしたりして、涙あり 笑いありの楽しい時間を過ごしました。

弟からは、お守りをもらいました。

その気持ちが、とても嬉しかったです。

その日は妹の家に泊まって、夜遅くまでいろんな話をしました。

病気のこと。

これまでのこと。

そして、これからのこと。

答えが出るわけではないけれど、家族と一緒にいることが心強かった。

一緒に過ごす時間

妹が、

「どこに行きたい?」

と聞いてくれました。

でも、私は特に行きたい場所があったわけではありません。

ただ、妹と一緒にいたかった。

妹は車でいろんなところへ連れて行ってくれました。

途中で少し雨が降ってきて、

「なんだか今の私の気持ちみたいだな~」

なんて思ったりもしました。

母とも一緒に出かけました。

おじいちゃんのお墓にも行きました。

そして、海にも行きました。

その日は天気がよくて、海を見ながら写真を撮りました。

そこで見た景色が、とても綺麗だったんです。

「こんなに綺麗だったんだ……」って。

ここは15歳まで私が育った海・・・

今までなら、何気なく見ていた景色だったのかもしれません。

でも、この時は違いました。

見えるもの一つひとつが、いつもより大切に感じたんです。

そして、東京へ戻る日。

母と父と一緒にバスセンターへ向かいました。

高速バスに乗って帰る私を、両親はずっと手を振って見送ってくれました。

バスが遠くなって、二人の姿が見えなくなるまで。

その姿は、今でも私の心に残っています。

今度は韓国へ

東京へ戻った私は、今度は主人と韓国へ向かいました。

羽田から仁川へ。

夜中の便だったのに、飛行機はほぼ満席でした。

機内食も出ましたが、胃の調子が悪かった私は、あらかじめ消化の良い食事に変更していました。

韓国に到着。

すると、家族が迎えに来てくれていました。

まだ朝の4時過ぎ。

こんな時間から迎えに来てもらって、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが入り混じりました。

そして、息子に会えました。

会いたかった。

本当に会いたかった。

でも、この時の私の中には、ずっと同じ思いがありました。

「もしかしたら、これが最後になるかもしれない」

そんなこと、息子には言えません。

まだ15歳。

そんな息子に、

「もしかしたら、お母さん長くないかも・・・」

なんて言えるわけがない!

だから、いつも通りにしていました。でも、これが難しい💦

3人で撮った家族写真

韓国では、家族3人で写真を撮りました。

私と主人と息子。

3人そろって撮る、初めてのちゃんとした家族写真です。

息子は、どうして急に家族写真を撮るのかなんて知りません。

でも私は、その理由を言えませんでした。

私の中では、

「これが最後の家族写真になるかもしれない」

そう思ってたから・・・。

だから、必死に泣くのを我慢して笑顔を作って写真を撮り

遺影にも使えるかも?と思って一人でも撮ってもらいました。

今思えば、あの時は必死だったんだと思います。

少しでも多く、家族との時間を残しておきたかった。

写真にも残しておきたかった。

その後、家族みんなで食事へ。

総勢12人 久しぶりに会ったら「痩せたね~」と言われ

とっさに「ダイエットしました~」っていうのが精一杯でとても辛かった😢

私は大好きなカンジャンケジャンを食べました。

大好きだから、食べたい。

でも……食べられない。

少し食べると、もう入らない。

大好きなものなのに、思うように食べられない。

それが、なんだか悲しかった。

結局、残してしまいました。

もったいないし、まだ食べたい。

でも、もう無理。

こっそり主人に渡しました。

義母も、何かおかしいと思っていたのかもしれません。

でも、私は本当のことを言えませんでした。

病院から何度も電話が……

韓国で家族と過ごしている間、病院から何度も電話がかかってきました。

「早く病院に来てください」

そう言われるたびに、どんどん不安になっていきました。

私は5月20日に入院する予定になっていました。

胃がんだと思っていた私は、

「これから胃がんの治療が始まるんだ」

そう思っていました。

だから、病院からの電話が怖かった。

「何か分かったのかな」

「やっぱり悪かったのかな」

そんなことばかり考えてしまいます。

家族と一緒にいるのに、頭の片隅にはいつも病院のことがありました。

そして、5月19日。帰国

この時の私は、翌日には入院して、胃がんの治療が始まると思っていました。

まさか、このあとまた話がひっくり返るなんて。

数日後、私は病院で思いもよらない言葉を聞くことになります。

「実は、胃がんではないようです」

ここから、私の病気はまた大きく動き始めます。


okan
okan

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、本当の診断と治療開始について書こうと思います😊
よかったら、また遊びに来てくださいね🌸


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